副島さん襲撃事件

以下、元統一教会員、カインの末裔氏の投稿より

 八四年六月二日に、世界日報の編集局長だった777双の副島さん
世田谷代田駅から帰宅途中だった午後八時四十分頃に
韓国空手の使い手に襲われ、左側頭部、左上腕部、左首筋、背中と次々にメッタ刺しに合いました。
「背中から左胸部に達した刺し傷は、深さ十五センチ心臓を2センチ外れていたが
肺が破れ血が溜まっていたため、一時は、重態に陥ったほどだった。
左上腕筋は、四十センチに渡って切り裂かれた。
三度の手術が、成功し、二日後に意識が戻った。」(警察発表を報じた記事より)
 この事件は、翌日の朝日新聞が、3段56行、毎日が、1段26行
読売新聞が、1段15行という扱いでした。
それで、当時の統一教会員は、もとより、その後に入教した教会員は、この事件のことを知らないのです。
 副島さんが、刺されてから一週間後の六月十日
文藝春秋七月号が発売され、刺された副島さんが書いた
「これが、統一教会の秘部だ」というレポート形式の論文が、大きく載っていたのです。
霊感商法のこと、天皇陛下との関係、統一教会が、韓国語で、世界統一を目指していることなど
 これまで、共産党の批判、報道しかなかった中で、副島論文は、重要な意味を持つ内容だった。
統一教会サイドが、副島さんの論文が、文藝春秋に載ると知ったのは
遅くとも事件が、起きる前の八四年五月二十六日、大手広告代理店の営業マンからであった。
そして、この掲載を阻止しようと、当時の国際勝共連合と統一教会の責任者が
様々な方面から圧力をかけたが、掲載を止めることが、できなかった。
そして、六月二日の夜、副島さんは、何物かによる襲撃を受けたのでした。
 この事件前までは、文藝春秋社は、朝日批判、反共という点で
統一教会、特に勝共連合、世界日報などに友好的でした。
しかし、副島さん刺殺未遂事件の後は、山崎浩子さんの脱会を主導するなど
反統一教会の急先鋒と変わりました。
 副島論文の注目すべき点は、元統一教会本部の広報局長が、暴露したという以下のような内容だ。
これまで、共産党や赤旗、朝日新聞などによって、既に明らかにされていたが
本部の元局長という幹部が明らかにした点が、大きな影響を与えたものだ。
 @文師によって、世界が統一され、韓国語が世界の共通語になり、統一教会の教理は韓国中心主義というもの。
 A統一教会の儀式では、文師に拝礼するが、当時の統一教会の会長久保木氏が天皇陛下の身代わり役で拝礼する。
 B1975年7月の文師による日本からの送金命令以来、9年間で、二千億円余りが、送られた。
 C文師への送金の責任者は、ハッピーワールド゛の古田元男社長である。
 D霊感商法には、マニュアルが、存在し、脱税の指導が、行われている。
この中で、統一教会が1番困ったのは、霊感商法の部分と同時に
久保木氏が天皇陛下の身代わりで、文師に拝礼しているという内容。
 これまで、反共、勝共運動の同志と考えていた民族派右翼が激怒し、久保木氏に質問状を出した。
久保木氏は、当然、副島論文の内容を否定したが、
八四年に開かれた勝共連合が中心となった「平和と安全を守る七大都市大会」で、
特に大阪大会で、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかえるペテン師の金集め」
などと批判するビラを大会会場周辺に張巡らせ、「大会粉砕」を訴えたのだった。
 この事件後、ある右翼の大物を通じて、和解を図りあるものを渡すが、それ以後、右翼、民族派と
勝共連合・統一教会は、副島論文が出る前のような同志の関係に戻ることは、今日まで起きていない。

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